アトリエ・インタビュー

高島慎一さん インタビュー

幅広い釉薬の知識と研究熱心さで「色彩の魔術師」と呼ばれる高島慎一さん。

専門の交趾以外でも近年は新境地を拓かれています。

今回は高島さんへ日頃の制作のこだわりについてお聞きしました。

陶芸家 高島慎一

1972年
京都市東山区に生まれる
1996年
立命館大学大学院理工学研究科修士課程修了
1998年
京都市工業試験場窯業研修修了
1999年
京都府立陶工高等専門校修了
2012年
京焼・清水焼伝統工芸士認定
京都市伝統産業「未来の名匠」認定

生きていく「居場所」が陶芸だった

 ―陶芸を始めたきっかけを教えてください

ものづくりが昔から好きで、子どもの頃はガラス職人やパティシエに憧れていました。高校3年の時に父に「職業選択のなかに、陶器屋があるならそれはいいが、家が陶器屋やからと陶器するのはやめろ」と言われて、とりあえず進学してメーカーに就職しました。ただ、そこでは将来の自分が何も想像できなくて、会社から帰って工房に入りこの匂いの中にいると、自分の居場所はここなのだと実感しました(気づくまでに時間がかかりましたけど(笑))。

生活とダイレクトに繋がる

 ―陶芸に対してどのような想いがありますか?

陶芸、と一言でいっても、一点もののような美術品もあれば普段使いの食器、量産のメーカーなど多岐に渡っています。私の場合、生活にダイレクトに関わるモノづくりにやりがいを感じています。自己表現ができる場、或いは思い通りの形を作る場というのは、僕にとって少し違うようです。日々の暮らしの器、進物用、インテリアなど、生活につながることを幅広く手掛けています。

拘らない

 ―モノづくりの上で大事にしていることを教えてください。

「拘らないこと」です。

お客さんに使ってもらうことありきなので、これしかしません、とは言いたくないですね。拘りが強かった若い頃は個人作家になりたくて個展などもしましたが、僕には向いてないと気が付きました。お客さんの要望になるべく応える、それに近づける作業をしたいと常に考えています。それは、洸春窯が割と色々な食器が作れる環境だった事も関係していると思います。もし作家色の強い家に生まれていたら、もちろんいまの僕はないです。

また、同じ窯元の代々でも人が変わったら作るモノも変わるという、親父に言われた家訓が、僕のポリシーとなっています。例えば、祖父は染付、父は黄交趾で蝶々が代表作、だから今僕が同じ交趾の蝶を描いて父との違いで認められるとは考えないです。

交趾洸春窯 先代の作風

交趾 高島慎一氏作

ふくら雀について

 ―ふくら雀のご縁に感謝しております

最初は交趾やイッチンを使って表現してほしいと、安田さんから言われたので黄色い雀にしました。

今だったら、違う雀になると思う。雀をモチーフにしたキャラクターだと理解しているので、僕の作った服ならどうしよう、とまず考えました。交趾(こうち)やイッチンを使ってオーソドックスに表現したのが1羽目です。

しかし、今雀を渡されたら違う服を着せたい、着せれたい、あのときと同じことしかできないようではいけない、そう思うのです。

 ―ありがとうございました。 今回は「色彩の魔術師」高島さんへインタビューさせていただきました。

オンラインショップ「ありくkyoto」にて、高島さんに彩られたふくら雀「香すずめ~黄交趾七宝紋」を取り扱わせていただいています。

 

ぜひ一度他のアイテムと共にショップにてご覧ください。

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